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独断と偏見に満ち足りた由無しごとを謹んで放言いたしておりましたが、現在は移転してしまい、ゆるーく管理しているだけで更新はしてません。 移転先は HABU's BLoG http://chimayoi510.blogspot.com Blog"TIBET ROOM" http://tibetroom.blogspot.com/
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    今日3月5日は、1898年に周恩来が生誕した日です。でも、そんなことはどうでもよい。それより重要なのは、1989年の今日、ラサで大規模な騒乱が起こったこと。
    では、ここで時代をほんの少し遡ります。
    周恩来が諌めようとしながら暴走した文革の悪夢が治まった後、実はチベットに大きな自由の風が吹き始めた時期があったのです。
    始まりは、1978年の鄧小平による改革開始によって毛沢東時代が終わりを告げ、そして何より1980年に中国共産党総書記胡耀邦がチベット視察で中国の植民地政策を批判したことだ。胡総書記はチベットの貧しさを目の当たりにして、恥ずかしさのあまり涙を流したと云う。実際、チベット人による自治を推し進め、85%の中国人を退去させると表明したのである。
    「囚人」が開放され、チベット語の教育が再開され、秩序を乱さないと云う条件付きながら信教の自由が保証された。僧院が再建され、1985年にはラサ大学が創設された。外国人にもチベットが開放されるようになった。まさにチベットの春です。
    しかしチベットの開放政策は中央やチベットの党幹部から激反発され、1987年1月胡耀邦更迭。そして9月下旬、遂にラサで騒乱が起こった。以後しばしば小規模なデモが繰り返されるようになり、チベット自由化の波は消えてしまった。
    そして1989年1月28日パンチェン・ラマ10世の謎の死によって臨界点に達したチベット人の怨念が、3月5日に爆発したのである。チベット人数十人の命が犠牲になった暴動は7日に武力で鎮圧され、「西蔵自治区」全域に戒厳令がしかれることとなった。
    更に一月後の4月15日にチベット自由化を推し進めた胡耀邦が心筋梗塞で急死すると、彼の追悼と民主化を叫ぶ学生運動が北京で起こり、それが天安門事件に発展したのである。当時のチベット自治区「主席」である委員会書記胡錦濤は、天安門事件の影響を避けるために戒厳令を翌90年5月1日まで解除せず、民主化の運動を武力で抑え込んだが、この「功績」のおかげで胡氏は国家主席まで登り詰めることができたと言われている。
    ところで、この1989年3月から遡ること30年___1959年3月10日はチベタンが民族蜂起した日です。つまりきっかけになった抗議デモは、変な言い方ですが、30周年記念デモでもあったんですね。この民族蜂起記念日のデモは今も続いてまして、毎年この日にデリーの中国大使館に抗議デモの行進がなされます。インドだけでなく、他の国でも行われていますが、日本でも東京であります。

2008 PEACE MARCH for TIBET
3月8日(土)13:00集合 13:30スタート新宿公園→新宿中央公園
サイト
もっと早く紹介するつもりだったけど、失念してました。

追記
    昨日のBjorkの動画、やっぱりあった。で、さっそく貼付けます。
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